学習の生理的メカニズム○ 品川 嘉也 日本医科大学教授 (生理学)学習の生理的メカニズム 「数学の勉強は実際の生活にはぜんぜん役にたっていないじゃないか」という人が多いのですが、これはまちがいです。 数学を勉強するのは、それ自体、生きるということなのです。「本能」が残っているとすれば、「学ぶことがおもしろい 」ということでしょう。「生きることが楽しい」、「学ぶことが楽しい」、これが人間にとってもっとも重要な「本能」です。 ですから、教育は学生の好奇心をうまくかきたてるようにすればいいわけです。そうすれば、各自の「本能」にもとづいて、みんなよろこんで勉強するようになるでしょう。学習することは、とてもおもしろいことなんだと感じ、ますます人生が豊かになっていくはずです。 教育にとってもっとも大切なことである、この「楽しい」と感ずることは脳生理学的にいえばどういうことなのでしょうか。 「楽しい」ときは、脳内にドーパミンというホルモンが分泌されてきます。 これには、視床下部から大脳皮質、前頭葉にかけてひろがっている神経回路が関係しています。視床下部というのは、もっとも現実的な本能に関係している部位であり、そこから前頭葉、前頭葉前野といういちばん高度なところにつながっている神経繊維があり、そこにドーパミンが作用するのです。 ドーパミンというのは、別名「快楽のホルモン」と呼ばれ、それは前頭葉前野といういちばん抽象的なことを考える部位に働きかけ、意欲を持たせるのです。学ぶということは意欲の問題であり、快楽にもなるということです。意欲がわかなければ何をやってもおもしろくないし、意欲がわけばおもしろいわけです。 たとえば、人間にとって、セックスが快楽であるのは、性本能に関係していることではない。それは人間の意欲をかきたてるから楽しいのです。 -中略 視床下部という本能の中枢から前頭葉にかけて連絡する神経組織があるので、学習するということは、人間の最大の本能であって、学ぶことが楽しいから学ぶのです。 学習と好奇心 日常生活で顔をだしている本能で唯一のものが好奇心、つまり学ぶことの楽しさです。学ぶということは、外部の世界を知るということであり、学校での学習はそのほんの一部にすぎません。 人間の作為のなかで、もっとも本来的ともいえる学習を制度化したものが学校です。しかし、制度化する過程で大切なものを捨ててしまっている。それは何か? 好奇心です。 楽しいから勉強をする、という教育の基本を忘れてしまっているのです。また、勉強するということは、苦行に等しいものであり、それに耐えて刻苦勉励したものだけが、いい大学に入る、などという悪しき伝統が日本にはあります。これはまったくナンセンスなことです。 勉強するということは苦しむことではありません。楽しみながら勉強すればいいのです。最も楽しんだ人間が、最も勉強しているのです。 いい教育というのは、いかにドーパミンを脳の中にたくさん分泌させたかということです。生理学的にはこの一点以外にはありえません。 いかに楽しんだかということが、いかに勉強したかということであり、生きることは楽しいというのが勉強の本来の姿です。このことが、いろいろな個別のテーマに即して子どもたちに伝達できれば、いい教育ができるのです。 -中略 極端に言えば、教師自身が好奇心を失って、ただ自分が過去に蓄積した情報を、効率良く生徒に伝達することが教育だと思いこんでしまっている。そんなことでは、情報さえ伝わらないのです。そのような教師に教えられている生徒は、いつになっても心を開いてはくれません。ドーパミンを分泌しない状態になれば、心は閉ざされていってしまいます。そうなると、コミュニケーションはいよいよなりたたなくなっていくのです。 |